サンロッカーズの前身・「日立大阪ヘリオス」の生みの親

田中富三さん
1952年に日立本社へ入社。1956年にバスケ未経験ながらも日立大阪バスケットボール部(のちの日立大阪ヘリオス)の設立に関わり1期生となる。マネージャーとしてサポートを行い、チームの精神的支柱を担った。チームを引退後もOBとしてチームを陰で支え、2000年の合併時にもチーム存続の危機を救った。
1935年に日立本社バスケットボール部(のちの日立本社ライジングサン )が創部され、その21年後の1956年に日立大阪バスケットボール部(のちの日立大阪ヘリオス)が誕生。
2000年に合併されるまで44年間、大阪を拠点に活動していた「日立大阪ヘリオス」がどのように生まれたのか。その中心人物にせまった。
1956年に日立大阪バスケットボール部が誕生しました。誕生までの経緯を聞かせてください。
田中さん:
1955年に全日本実業団選手権が大阪で開催されて応援に行ったんです。当時、日立本社バスケットボール部は新聞で「ダークホース」と評されていましたが初戦敗退。ですが、敗れたにもかかわらず、勝ったチームよりも大きく取り上げられていたんです。その記事をたまたま大阪営業所(現在の日立製作所関西支社)の副所長にお見せしたところ、「おもしろいね!」と言われ、大阪にもチームをつくることになったんです。当時の私は入社3年目で、バスケットボールの経験はありませんでしたが、これをきっかけに創部に関わることになったんです。
そこから、当時の日立本社チームの監督や主将とともに、ゼロからチームづくりを始めました。当初は選手が一人もいなかったため、関西の大学や高校から希望者に入社試験を受けてもらい、新卒で5名を採用。さらに、社内でスポーツ経験のある社員を募り、総勢10名でチームを発足しました。
私はプレーの技術的なことは分かりませんでした。なので監督が技術面を、私はマネジメント面をそれぞれ担当し、“心を一つにする”つまりワンチームとしての結束を大切にすることに集中していました。新聞記者の方に取材された際にも、「日立大阪はチームワークが抜群だ」と評価され、記事としても取り上げていただきました。そして創部の翌年には、大阪代表として国体に出場し、実業団1部への昇格も果たしました。

1998年には日本リーグ1部(当時のトップリーグ)昇格を果たし、全日本実業団選手権大会に24回出場、3回の優勝をするまでに成長した「日立大阪ヘリオス」。しかし、実業団チームの宿命なのか、会社の業績の影響を受けて存続が危ぶまれる状況に。この危機的状況を救ったのは、クラブを立ち上げ、人一倍の想いがある田中氏だった。
田中さん:
1998年当時は東京にいながら大阪の顧問をやってたんです。その時に日立製作所の副社長(当時)の佐室(有志)さんから電話があり、会社の業績悪化で企業スポーツを見直すことを聞きました。一時はどちらも廃部の危機でしたが、佐室さんと直接話し合って、2つのチームを一つに統合しようという流れになりました。ただ、問題は大阪と東京、どちらを拠点にするかという点でした。
しかし不思議と意見は一致し、今後バスケットボールチームとして成長していくためには、東京を拠点にすべきだという結論に至りました。佐室さんにも協力してもらい、私は日立大阪ヘリオス側のOBたちを説得する役割を担うことになりました。
当時大阪チームの監督を務めていた加藤(憲行)を統合後の総監督にすること、さらに有力選手であった菅裕一選手ら3名を東京へ転勤させることを条件に説得にあたりました。もちろん反発はありましたが、大阪の廃部ではない、統合なんだと。バスケットボールの発展的解消ということで説得しました。
2000年以降、JBLスーパーリーグ、NBL、Bリーグと日本バスケ界の進化とともにサンロッカーズも成長していきました。サンロッカーズの試合で印象に残ってるシーンはありますか?
田中さん:
2015年の天皇杯優勝ですね。これは忘れられないです。日立本社ライジングサンと日立大阪ヘリオスのOB交流会を定期的にやっていたのですが、そこで、優勝したら選手・スタッフ・OB全員で帝国ホテルでパーティーをやろうと長年言ってたんですね。
そしたら優勝したんですね。帝国ホテルは代名詞で言ってたのですが、何事も言い続けることは大事ですね(笑)。試合も現地で見ていました。振り返ると日立のバスケット、サンロッカーズは私の人生の大きなウエイトを占めてますね。会社生活もバスケットなしでは語れないです。
最後に、サンロッカーズはどのような存在ですか?
田中さん:
今でも時間があるときには試合を観戦しに行ったり、テレビ中継があればそれを観たりしています。入社して50年間、バスケットとの関わりなくして僕の人生はないと思います。
サンロッカーズには歴史やルーツを大事にしてほしいと思っています。変わらずにずっと応援しているので、これからのサンロッカーズの末長い発展を祈ってます。